アニメ『PLUTO』の視聴が佳境に入り、この機会に長らく見ようと思いながら保留いしてきた1963年版アニメ『鉄腕アトム』116-117話「史上最大のロボット」を視聴することにした。放送当時に試聴してきたうちの父が「一番思い入れ深いエピソード」と言っていたエピソード、なかなか見る機会が訪れずに今日に至ってしまった。調べたら配信サービスで視聴できることもあり、これを機に見てみようかと思ったのだ。
『鉄腕アトム』「地上最大のロボット」は『PLUTO』の源流となったエピソードだ。
本作に登場するプルートウは、アブラー博士によって最強を目指して作られたロボットだ。その性能を証明するため、プルートウは世界に存在する7体の最高性能ロボットに対して戦いを挑み、彼らを次々に撃破していく。しかし、最高性能ロボットの1体であるイプシロンとアトムとの戦闘の最中、阿蘇山の噴火が発生。プルートウは自身の生まれた理由である「戦うこと」を捨て、人を救う決意をする。このプルートウの決意が作品の面白さの根幹となっている。
『PLUTO』に登場するプルートウが戦う理由は、「地上最大のロボット」のプルートウとは大きく異なる。彼を戦いに突き動かすの“憎悪”の感情だ。元々温厚なロボットであったサハドに、アブラー博士が“憎悪”の感情をプログラミングして生まれたのがプルートウの人格。この“憎悪”が彼を戦いに駆り立てることとなる。
長い時間を経て描かれた2作、そこに登場する2体のプルートウの差はどうして生まれたのだろうか? そこには時代の変遷から生まれた“ロボット感”の違いがあったように思う。
「地上最大のロボット」に登場するプルートウは「戦う」という単一目的のために製造されたロボットだ。しかし、この「単一目的のために作られたロボット」という存在が、今の僕らにはピンとこない。一つの科学技術が多様の用途に流用されるのを度々に目にした今、戦うことだけを戦うことだけを動機に動くプルートウに違和感を覚えずにはいられないのだ。
だからこそ、『PLUTO』に登場するプルートウには、新たに戦う動機を与えられたのだろう。その動機こそが“憎悪”という感情だった。
『PLUTO』の中でプルートウが度々戦うことに迷いを感じたのも、“憎悪”に突き動かされる自身への疑問からだろう。「史上最大のロボット」にはない面白さがそこに生まれていたように思う。
Netflixシリーズ『PLUTO』
10月26日(木)独占配信
■STAFF:
原作:『PLUTO』浦沢直樹×手塚治虫 長崎尚志プロデュース監修/手塚眞 協力/手塚プロダクション(小学館ビッグコミックス刊)
エグゼクティブプロデューサー:丸山正雄、真木太郎、山野裕史
監督:河口俊夫
キャラクターデザイン:藤田しげる
クリエイティブアドバイザー:浦沢直樹
CGI演出・特殊撮影:宮田崇弘
撮影監督:佐藤光洋
音響監督:三間雅文
音楽:菅野祐悟
アニメーション制作:スタジオM2
制作プロデュース:ジェンコ
■CAST:
ゲジヒト:藤真秀
アトム:日笠陽子
ウラン:鈴木みのり
モンブラン:安元洋貴
ノース2号:山寺宏一
ブランド:木内秀信
ヘラクレス:小山力也
エプシロン:宮野真守
プルートゥ:関俊彦
お茶の水博士:古川登志夫
天馬博士:津田英三
ヘレナ:朴璐美
ダンカン:羽佐間道夫
アブラ―博士:山路和弘
ブラウ1589:田中秀幸
作品公式サイト:https://pluto-anime.com
Netflix作品ページ:www.netflix.com/pluto
公式X(旧Twitter):https://twitter.com/pluto_anime_
公式FaceBook:https://www.facebook.com/pluto.anime.official
(c)浦沢直樹/長崎尚志/手塚プロダクション/「PLUTO」製作委員会